沖釣り探訪
南房総に春を求めて・館山港出航の巻   庄山 晃 著

赤鬼青鬼、オニが脚光を浴びるのは節分までだろうか。 釣りジャーナリズムまでもが同様なのは、季節柄、鍋料理が暑苦しくなるためか。それとも釣り物のレパートリーが広がるせいか。

聞く価値ありオニ教師の集中レッスン

しょうやま・あきら (釣りライター)
81年より新聞、雑誌に釣り記事を寄稿。
著書に「はじめての1尾」(主婦と生活社)
ビデオでは「水中で見るカワハギ釣り」(文芸春秋社)、「釣魚のある食卓」(アンバウト社)
NHK「趣味悠々」では釣り番組の講師。

オニ釣りには厳然としてこだわりがある

「真澄丸」の橋船長はオニ教師

 世間一般ではそうであっても、オニにぞっこん、オニこそ我が命と、オニひと筋に執念を燃やす船長がいる。炎暑の8月であれ、ワラサ、ヒラマサの盛秋であれ、オニしか眼中にない。
オニに身も心も捧げたのは船形港「真澄丸」の高橋忠船長だ。人呼んでオニ釣りのカリスマ即ち超人的な能力を発揮しては、オニファンを魅了し、たちまち信奉者を集めてしまう人物をいう。
 その証明となるのが船宿の壁に張り出された大オニ写真の数々だ。ほんの5〜6年間の釣果のようだが、半端な数じゃない。釣り人のみならず見る者すべてを信服させる。
あれだけの数の大オニたちに睨みつけられると、たいていのひとはビビってしまうだろう。ほぼ国政選挙にも行き、人並みに税金を払ったボクですらもが「もう悪い事は致しません。どうかお許し下さい」と謝りたくなってしまう迫力がある。
 あの写真、視点を変えて大オニを捧げ持つ釣り人の方に焦点を当てると、また別の発見があるものだ。皆さんが軒並みデレデレの笑顔とくるから、こちらもニンマリを頂戴してしまう。言うならば、地獄と極楽が一枚の写真に収まっている図。大オニの凄味のある顔は、昔からよく聞かされた悪い事をしたら、地獄の責め苦を味わうハメになるぞの教え。一方、オニの首どころか、丸ごと1匹を征伐すれば極楽気分。記念撮影の栄光にも浴して、釣り天狗の鼻がまた数センチは伸びるという寸法。
 「真澄丸」船長、またの名を鬼ケ島への案内人。そして、またの名を大オニ道場の道場主。端的に言うならば、オニ教師。よく聞く話に「飼い犬の顔は飼い主に似てくる」というのがある。毎日、オニ退治に出かけ、オニを見つめ続ける高橋船長であるから、どことなくオニの風貌も無きにしもあらず。

 さて、オニ教師ならではのこだわりが幾つもある。たとえば、理想とすべきハリの掛かり所というか、唇へのハリの掛かり位置にも大変なこだわりがある。魚の顔の中心線から左45度、口の縁から12mmの位置にハリ先が抜けていること。それも、上バリでなく、先バリに掛けるのが正しいのだとか。大オニは右にしか泳いで逃げないのかと思ったら、さにあらず。「真澄丸」の攻めるポイントの地形上、潮の当たる方向から魚は右に逃げ、当然の結果、左の唇に掛かるべきであるとの結論だ。
 ここまで言うか、と驚いてしまうが、オニ教師は平然としたもの。口の縁から12mm説も組織の硬い部分なので、バラシの心配がないのだとか。先バリに掛かる魚はタナ取りが正確と見てよく、これは合格点。上バリに釣れたのはタナぼけ状態で掛かってくれたに過ぎない、と手厳しい。一事が万事である。こうした理想的なハリ掛かりを実現させるためには、それ相応のアワセが必要になる。肝心のアワセにいたるまでには小難しい「真澄丸」流のプロセスがある。風波の絶えない海上で大オニならではの小さな当たりを感知しては、リールから道糸を送る。一度ならず、状況によっては二度も三度も。このあたりにも「真澄丸」流のこだわり釣法の神髄が多々あるようだ。

 しかし、自他ともに認める鬼ケ島への案内人だけに、出船前オニ釣りの初心者であれ、釣法伝授は事細かに行われる。道場主が熱のこもった手ほどきを欠かさない。これも同宿の看板のひとつだ。実際の話、オニ釣りが初めてのひとほど、砂に染み込む水のように船長の釣法ガイドが飲み込めて、船上でのニコニコ顔に結びつくようだ。ただし、経年劣化して硬化しつつある頭や、オニ釣りへの先入観、固定観念をすぐにクリアできないおじんたちにはオニ教師の集中レッスンはしごきに近い。
 オニ教師によれば、同宿がターゲットとする2kg級の大オニは20年近い歳月を経てきた魚であるとする。その顔つきは近寄りがたい荘厳さすらも、畏敬の念をもって接すべき魚と強調する。したがって、一見さんの4人組は予約の段階でお断りとなる。限定8名のところへ、4人組が入っては常連さんが乗れないという事情もあるようだが、仲間でワイワイやられては、ほかの人が釣りに集中できないからと断定する。大オニこそは心を空しく、孤高に挑むべきであるとし、道場での修業というよりも、求道的な修業の心構えが必要となるわけ。
 「そこまでやるか」「ここまでやるぞ」のこだわりも、大オニに命を捧げたればの船長であるからだろう。かくしてカリスマ、教祖様の誕生だ。

執念が実って良型オニ1匹

 世に○○釣り名人、達人も多いが、善くも悪くもカリスマ船長もまた数多い。本誌巻末の船宿釣況ニュース欄を開いて、魚名から誰か船長の顔が浮かんだら、それはもう立派なカリスマ。カリスマだけに自分にも厳しいが他人にも厳しい。移動中にうっかりゴミをポイとやったら客に反省してもらうため、船を戻して拾わせたというエピソードもある。海況にもよるが、オニ釣りは午前釣りの4時間だけ。合計16回を最大の投入回数と自らが決め、頑なに守る。オマツリを避けるため、一斉投入が原則。モタついたらパスして見守るのもルール。操業時間や投入回数を律するのは、釣り場の資源保護といった観点だけではなく、船長自身の集中力の限界であるからとか。釣り人に負けず劣らず竿先に神経を集中し舵を握り、ヘトヘトになってしまうからのようだ。
 オニにはまったくふさわしくない雛の節句の取材であったが、連載をいいことに同宿を訪ねるのに成功。出船前のレッスンが全部覚え切れなくて、また、船上では思い出せなくて大焦り。そんなオニの形相が功を奏してか、ボクにも1匹釣れてくれた。潮流の速い湾口部から洲崎沖一帯にかけての大オニたちは、幾多の釣り人の手からも生き延びたスレた魚で、難攻不落の鬼ヶ島城に住む手ごわい相手なのだとか。まずまずの1匹とおほめをいただき、アレレ、お写真までも。
 翌日、同宿のHPをチェックした旧友が5年ぶりくらいに電話してきた。「船長とはケンカしなかったのかい」が彼の第一声。それというのも、過日、午後のアマダイ釣りに乗ろうとして、港で船を迎えたら、「あんたはもうウチに来なくていいから」と叱られて降ろされる客を目撃したのだとか。旧友はボクのへそ曲がりなのと、ケンカ早いのを熟知していての心配だった。最近、ケンカの方は自粛中だが、へそ曲がりだけは直らない。あちこちのカリスマ船長に出会うせいだろう。今回は左45度に曲がってしまった。